「祇園が危ない」。旧知のテナントビルオーナーから、そんな話しを聞かされた。彼が所有する物件のテナントがつぎつぎと店をたたみ、現在の入居率は半分にも満たないという。ほかのビルも似たり寄ったりで、そのうち祇園は滅びるだろうと彼は半ばヤケ気味にいった。しかしそのときは、まだ話半分で聞いていた。
数日後、馴染みの店のママに「年内いっぱいで閉店する」と告げられたとき、ことの深刻さを少なからず実感した。そこでは従業員を数人雇っているが、現状の売り上げでは人件費を捻出するゆとりがないというのだ。
夜の祇園街。ビルのほとんどの窓には灯がともり、ネオンも煌々と輝き、一見空き家が多いとは思えない。じつはこれにはカラクリがある。空き家が多いと思われると客足が遠ざかるので、いわばサクラとして部屋の電気をつけ、看板もそのままにしているのだという。ビルオーナーたちのなんとも涙ぐましい努力だ。しかしそれだけしても、テナントの店は閑古鳥が鳴いているという。
長引く不況のため、祇園に限らずどこの歓楽街も青色吐息なのだそうだ。これも先のテナントビルオーナーから聞いた話しだが、ある企業では接待の新しいマニュアルに、食事は○だが飲酒は×と記しているという。大仕事をやり遂げたいなら自腹を切ってでも酒宴にお連れしろと思うのだが、給料が下がりはすれど上る保証のないご時世では、土台ムリな話しだろう。
そんなこんなを、祇園のとある店で取引先の若い営業マンにこぼしていたら、彼は「祇園で飲むなんてダサいじゃないですか」と言い放った。祇園に連れてきてもらっていながらである。顔に浮かび上がりそうな怒りを静かに抑えつつ、放言の続きを聞くと、今の若者は祇園のスナックやクラブに魅力をまったく感じていないという結論に達した。
隔世の感におそわれた。私の若かりしころは、祇園のスナックやクラブでボトルキープをすることが憧れであり、また自慢でもあった。馴染みの店をいくつ増やせるか、同僚たちと張り合ったものだ。そして、それが仕事の励みにもなっていた。
だが、そんなことは今どきの若者たちにとって、ナンセンスの極みなのだそうだ。同じ金を使うならもっと違う楽しみ方があり、そのひとつがいわゆるキャバクラ遊び、二十歳前後の女性と友達感覚でジャレあうことという。祇園にもその手の店が進出し、気勢を上げていると聞く。
「祇園が危ない」のは未曾有の不況のせいもあるが、どうやら遊び方の変化によるところが大きいようだ。もし若者たちが昔ながらの遊び方にソッポを向いたままなら、この街は本当に滅びてしまうかもしれない。かといって、彼らの好みに合わせてキャバクラを増やすなどというのは言語道断だ。そんなことをすれば、私たちの行き場がなくなってしまうではないか。
しかしテナントビルオーナーたちにとって、背に腹はかえられない問題であるのも事実。そしてその問題は、私自身の商売にも何らかの影響を及ぼしかねない。
京の師走の風物詩、南座は顔見世のまねきがあがり、祇園街に書き入れ時がやってきた。だが、白川のほとりを吹く風はいつになく冷たく感じられる。5年後、この街はどうなっているのだろうか。まったく予測がつかないというのが正直なところだ。これを読んで、いい考えが浮かんだいう方がいらっしゃれば、ぜひお聞かせいただきたい。
|