こんな話しをよく聞く。土地を売ろうとしたが、境界石や塀がなく、お隣りさんとの境界がはっきりしない。生まれた時からずっと住んできたその土地はもう何十年も前に親が買ったもので、最近相続した。お隣さんもずっと変わらず昔からの持ち主である。
後々トラブルにならないよう「土地の境界線を正確に知りたい」と思い、「土地のことはアレを見れば分かるはず」と法務局へ赴く。目当てのモノを探し出し、おもむろにページを捲る。しかし、そこには難しい漢字ばかりが並び、肝心のコトはどこにも記されていなかった・・・。
土地の境界線は登記簿には記載されていないものだ。などというと大変いい加減なようだが、これは事実である。法務局などに図面が残されている場合もあるが、実際には使い物にならないことも多い。
特に、不動産会社がしっかりと区分けしたものでもない昔ながらの土地や、最近売買や分筆など土地に関する変動がない場合には、どこを探してもわかる資料がないということは多い。
では、境界線は普通どのように決められるかというと、隣接する土地の人と話し合い、境界の確認を行う。そして実印と印鑑証明をいただいた段階で、晴れて線引きがなされるのだ。
この「線引き交渉」に私も何度か立ち会ったことがある。当然、スムーズにいくときとそうでないときがある。そうでないときには揉めに揉め、調停、さらには訴訟に及んだケースもある。話し合いにすら応じてもらえなかったこともある。取りつく島がないというのは、まさにこのことだ。
子どものころ、陣取り合戦をしてよく遊んだ。そのとき好意をもっている友人とは共闘したが、そうでない友人とは意地になって戦った憶えがある。もちろん、子どもの遊びは何よりも先に好き嫌いが立つものだから、大人の取り引きと並べて論じることはできない。が、立ち会いを重ねるうちに、「線引き交渉」でも「あの人にだけは、良くしてあげたくない」といった気持ちが先立っているケースが多いのに気付いた。
交渉がまとまるか、決裂するか。そのカギを握るのは、どうやら土地保有者とお隣りさんとの「人間関係」のようだ。町内の誰からも好かれ、慕われている「好々爺」が話しを持ちかければ、交渉は円滑に進み、すべてが丸く収まることが多い。反対に、町内の決まりを守らない「問題児」や、日頃の近所付き合いで何かとイチャモンをつける「うるさ型」には、お隣りさんはすんなり事を運んでくれない。
しかし、これは当然といえば当然かもしれない。実印は、相手がよほど信用できる人間でなければ押せるものではない。また、境界線を決めることでお隣りさんが何らかの利益を即得られるなら話しは別だが、そういったものでもない。利害関係よりもまず、人間関係が重んじられる世界なのだ。
なにはともあれ、ご近所の人々と円満な人間関係をもつことは、大切なことである。遠くの親戚より近くの他人というように、もし何かあったとき、頼りになるのはお隣りさんなのだ。
弊社も京都・太秦の昔ながらの商店街に社屋を構えているが、ご近所との付き合いを大切にしている。弊社がこれからもっと成長して、いくら規模を拡大しようとも、この地を手放すことは決してない。なぜなら、ここは京都相互住宅が生まれ育った場所、大切な故郷なのだから。
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